2002年11月24日

昨日はゼミのOB会だった。教授が還暦迎えてみたいな。

このゼミにはお世話になった。楽しかったし。よくみんなで呑みいって。
教授の家にも遊びにいった。歩いていけるくらい近所に住んでる。

去年確かゼミが30周年だった。
一期生の人とかうちの親と変わらないくらいの年の人たち。
ほんとにたくさんの人が集まった。

青学会館っていう結婚式場で立食パーティーみたいのやって、
ニ次会は学生時代ゼミの後によく呑みにいった居酒屋で。

その二次会でニュージーランドのオークランド大学ってとこの
環境法の教授と一緒のテーブルになった。もちろん英語。
いやぁ話もたねぇのなんのって。英語がわかるわかんない以前に共通の話題とかないし。

コミュニケーションってのはいくら文法がわかったって、意味なくて、
相手が言ってることの意味がわんなかったらうやむやにうなずいたりしないで、
なんて言ってるか意味がわかんないよ〜ってちゃんと相手に伝えたりとか、
なんかそういう本質的な部分を学校で英語の時間に俺教わったかな?とか思う。

日本人のおっさんとなかなか話合わないのと一緒で、
外人のおっさんともいくら英語ができたってなかなか話は合わない。
でもなんつーかコミュニケーション力ってそれでもお互い楽しく会話できちゃうみたいな、
そういうとこが元だと思うわけで、社会って場所でそういうのを磨けたらいいなぁとか思う。
商社マンとかやっぱその辺すげぇんだろうなって。

俺は幼稚園の頃に町田の団地に住んでた。
そんときに家族ぐるみで付き合ってた友達が(兄弟が)いるんだけど、
今日そこのおばさんが家に遊びにきて、いろいろ話を聞いた。

その兄弟の兄ちゃんの方は生まれつき身体が不自由で、手も足も動かせない。
ケンちゃんってあだ名なんだけど。

でもガキの頃から近所で一番が絵がうまいのはケンちゃんだったし
(口を使ってほんとに器用も絵を描く)、話しも面白いし人気者だった。

小学校、中学校になっても家族ぐるみの付き合いだったからよく一緒に遊んだし、
なんつーかやっぱそういうハンデとか背負って生きてるから、
人間できてるっていうか懐深いっていうか俺にとっても兄貴的存在だった。

年とってくにつれてだんだん会う機会とか減ってって
最後に会ったのが俺が大学に入った時くらいだったと思う。
そんときもケンちゃんは大学のサークルの写真とか見せてくれて、
それ見てても人気者っぷりが伺えるような感じだった。

そのケンちゃんがなんと一人暮らしをはじめたらしい。
正直驚いた。だって手も足も不自由なのに。
朝と夜にボランティアの人に家事とか風呂とか手伝ってもらって
昼は普通に会社にいって働いて。

「スゲー!!」って素で思った。
しかも彼女もいて、結婚の話もチラホラ。
昔っから尊敬してたけど、やっぱちげぇなって。
おばさんは本気で反対したらしいけど、今のところ何の問題もなくやってるそうだ。

俺は、、。そこの家の弟の方は俺の一個下で、
身長180以上あって、顔もかっこいいし、、、なんだけど、
性格とか俺と一緒っていうか、なんつーかジャンルわけでいったら同じようなタイプ。

ケンちゃんはすごいけど、えーじとゆーすけはどうしようもないわねぇ。
みたいな小学生の頃からの位置付けは今でも健在のようだ。笑

なんか色々考えさせられた。
俺は今でも親のスネをかじってるだけでなく
祖母のスネもかじってる。
月2万円を家に入れてるだけで、全く一人立ちしてない。

俺もサラリーマンになったし、23になった。
うちの母親がオヤジと結婚したのが23だったそうだ。

なんか最近もっといっぱい本とか読んで、
自分の事もっとじっくり考えたいなって思う。
具体的になんなのかとかよくわかんないけど。

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