Audibleで 失敗の本質―日本軍の組織論的研究 を聴きました。過去に購入したことがある本なのですが、あまり読んでて幸せな感じじゃなさそうなこともあって、積まれているうちにブックオフまで行ってしまったような気がします、、
というのは置いておいて、やっぱり聴いてて気持ちのいいものでは全くないのですが、同じ日本人として(いや、国籍云々じゃないかもしれないけど…)、システムインテグレーターに居た頃のデスマーチなプロジェクトとかを思い出してしまう。体調を崩してしまう人や、退職してしまう人、何もそこまで私生活を犠牲にしなくてもっていう人、色んなものを見てきた。
組織の中で声の大きな上層部の人が、精神論を振りかざして無理やり、、というのは割と色んなところであることかもしれない。もちろん、それが奇跡的な成功を収めることもあるのだと思うし、それこそ、戦争という事態の中で、伝言ゲームのようなことが行われ、その中から必要十分な情報を収集してロジカルに意思決定をすることは極めて難しいことは理解できる。
それにしても、、と思うことが多かった。そしてこれが極めて事実に近いのだろうと思うと、胸が詰まるというか。
夏になると、テレビや映画で戦争の悲惨さが伝えられ、もちろん自分もそれを見た一人として、何を持ってでも避けるべき事態であって、、とか思うわけですが、それと同時に、例えば家族が誰かに殺されたというような事態があったときに、自分が冷静にいられるのだろうか、、という感情もあったりする。
3月に有給休暇を使って広島に一人で旅行に行ったのだけど。展示物を前にして涙が止まらくなってしまったり、それでいて、戦後のめざましい復興だったり、培った造船技術を元にビジネスが行われてきていたのを知ったり、感情が交錯してしまうところがあったりもした。
話を組織論に戻すと、もちろん、一本筋が通っていることは重要だと思うし、弱音を吐きそうな時の叱咤激励は必要だと思う。でも、(個人的には常に評論家気取りでアレやコレや振りかざしていつもNoしか言わないような人とはどうも反りが合わないけど…)どこかで誰かが情報を収集し、多角的に物事を見て、多少のコンフリクトが存在したとしても、シミュレーションを行ってどう転びそうか試算してみる、といったようなことが意思決定を行うプロセスの中に組み込まれていなければならないのは確かだ。
とはいっても、大概の場合、重要な意思決定のプロセスに関われるのは極少人数で、何がどう決まっていくのかすら分からないことが多いわけで、そういう軸でみると、どういう組織で自分がどういう役割でその会社なりプロジェクトなりに携われるか?っていうのは大切なんだなって改めて思う。
友人が何か大切な意思決定をしようとしている時に、その場で無条件に “応援するよ!” って言うのは簡単かもしれないけど、そういう時にこの本を一冊贈ってあげる、みたいなそういうオジサンになれたらイイな、なんて思ったりしました。